車を運転すること

c0039094_21482980.jpg車を運転することは、常に規律と判断との戦いである。
進むべき目標、経路の選択、速度、交通法規、燃料消費に道路状況などなど。

しかし、それらの規律は目的地に到着した際に得られるであろう開放感や達成感に裏打ちされ、行動の原動力となるのであろう。

これは日々の生活でも同じであり、人間が社会的動物として行動するためには、自らの良心や社会通念上の道徳があり、規律がある。

その全てを「制約」として捉えると、我々が持つ自由意志を規制するネガティブな事象になってしまうが、考え方によっては、これらの規制は自らの判断力によっても作り上げられているとも考えられる。

これら人為的な制約に加え、自然の一員である人間は自然から与えられる不可抗力が生じる可能性を持っている。

マイナス要素で考えるなら、規制や制約を維持しながら車を走らせたあげく不可抗力である天候悪化を目の当たりにして、疲労した肉体と精神は失望に変わりそうになる。

しかし、痺れにも似た疲労感でぼんやりと閉ざされた視界であるフロントウィンドウに展開される世界を見ている時、そして、更に閉ざされた空間であるバックミラーに目を移していると、それらは安全確認という規制のための道具であるにもかかわらず、そこに何ら変わらない人間と自然の営みが展開されていることで自分が自然界の一員であること、社会の一員として存在していることを再確認し、不思議な解放感…というか安心感にとらわれることもある。

こうなってくると、「目的地に到達することが目的」なのか、「目的地に到達するために運転するのが目的」なのか、というコトが次なる考察の対象となる。

なんてコト考えず、ちゃんと前見て運転しなきゃデスね…(笑)

Kodak DX6490 Digital Camera
Schneider-Kreuznach Variogon 38-380mm
Belichtungsautomatik

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by coopiecat | 2005-03-22 21:54 | くるま
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