表現することについて 5

c0039094_20275718.jpg写真を撮るときまず、行動から考えた場合の第一歩として我々が写真を撮影するそのとき、まずは機材を手にとる。実はこの機材の選択という段階からその人の表現行為は始まっている。というのも、カメラという目とフィルムという頭脳を持った時から、機材は一個人の延長として、そのアイデンティティーを確立すると同時に私達と共にあると考えられるからだ。

カメラの能力、フィルムの能力に我々は信頼・期待しているわけで、その能力を最大限に活かす方法で撮影を行なうということは自己の能力を最大に利用して制作にあたることに近似した行為である。

ただし、その行為において、指定の感度を最大限に利用するというのではなく、ただ単純に指定された感度で、自分の意志で絞りやシャッタースピードを設定、もしくはファンクションキーを操作しないで、言われるがまま、カメラの言うがまま、委ねた場合には何の意義も持たずに、ただ漫然と事象を捕らえる感性と同じで、それは感性というよりもぼんやりと外を眺めているに過ぎない。

このように表記するとマニュアルカメラを使わなくては作品の制作が不可能であるかのように単純に捕らえられるかもしれないが、ダンサーにおいては自己の身長や腕の長さ、指先での表情まで気を配ることから初めて自己の肉体による表現を可能とするように、たとえ自動機構を持つカメラを使用した場合においても、正しく理解した上で操作することで、煩雑な操作を省ける分、表現に没頭することが可能となり、そうすることで操作という作業から開放され、より精神に直結した表現が可能になるとも言えよう。

カメラやフィルムを選択する場合、撮影の対象が明確な場合にはある程度の経験などによって条件が限られることもあるが、何はともあれ最大限の能力を引き出せる準備を行なわなくてはならない。その「最大限に引き出す準備」は表現のための準備段階であることを考えるならば、手を抜くことはできない。

一方、状況が刻一刻と変化する外での撮影の場合には、途中でフィルムの交換をすることは可能であっても、現像における操作で自分の表現したいと考えるプリントの許容を考える限界の線を考慮に入れて、最大限に操作する段階で、その行為は撮影技術から創作の行為に変貌する。この創作という自己の判断に基づく「行為」が介在する以上、写真が芸術たりえる一つの証左と考える所以である。


作成中の「写真と芸術」(仮題)より抜粋

Kodak DX6490 Digital Camera
Schneider-Kreuznach Variogon 38-380mm
Belichtungsautomatik

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by coopiecat | 2005-04-24 20:28
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