挫折という名の出発点 2

c0039094_21413387.jpg

soaveさま。レクチャーできるほどに自分の中で成立した考えではナイので何とも…単なるグチになってメルローを台無しにしちまう事になりそうデス。(^^ゞ
それにしても、ルーマニア産ワインってのも奥深いデスなぁ。



Soupサマ、こんにちは。いつもお世話になっております!
手段が目的化することは大切なコトなのだと思います。
というのも、目的を達成するために手段が誕生したとするならば、その手段が多くの人々に受け入れられ、歓迎されるということは喜ぶべきことなのだと思います。

ただ、手段の登場に安心し、本来の目的を見失ってしまってはイケナイと思うし、生まれてきた手段も進むべき道を見失ってしまう…のではないか?と。

Soupさんが例示された万年筆、時計、車、カメラは私の愛好するものデス。
各々に必要とされた、というか求められたものは、文字(広義な意味で)あり、時間であり、空間(移動も含む)であり、写真なのだと思います。

しかし、それらのツール(手段)を所持したことで全て(目的)を所持することはできません。

文字や時間や空間って何なのだろう?
それは個人ではなく、人間である私達全員が共有している「何か」というモノが回答なのかもしれません。

そういう目的があるのから出現してきたモノなのだと思っています。

では写真とは?
そこを問うべきだと思ってみたりするのデス。

近代芸術の一環、というか一部として写真が認知される傾向があるようですが、ここで写真の持つ特性を明確にしなくては写真はその存在意義を疑われかねない。

あ、芸術史に存在を示すことが出来れば、その存在意義を明示することが出来るというコトではありませんし、写真の特異性を強調することで存在意義を強調するつもりもナイ。

「写真という手段もあるのだ」という提案。

そういった無茶をしようとしているから、心理・哲学・芸術、そして写真の各方面から「はぁ?」と言われてしまう…えぇ、判ってマスとも。
僅かながら、何故「はぁ?」と言いたくなる理由もね。

う~ん、イカンなぁ。
ますます問題児になっちまう。

コレ、自分が別の立場だったら許さんやね。(笑)

Kodak DX6490 Digital Camera
Schneider-Kreuznach Variogon 38-380mm
Belichtungsautomatik

COPYRIGHT:Coopiecat
[PR]
by coopiecat | 2006-02-12 21:42
<< 初めての出会い 挫折という名の出発点 >>