歳を重ねるにあたって

c0039094_22404213.jpg間もなく歳を重ねるにあたり、今の自分の置かれている状況等を考えているうちに、何故か思いは昔へと遡っていった。色々なことを思い出したりしてみたのだが、やはりカメラと時計に関する思い出が沢山蘇ってきた。

それらを教えてくれた指折り数えてみると名前がわかっているだけで13件あって、名前が思い出せないカメラ屋さんを合わせると都合18件が私の活動範囲に存在していた。

それから3件の古道具屋さんがあり、アンティークショップが2件、時計屋さんが3件と1件の時計材料店、それから時計やカメラといった機械物を多く扱う質屋さん3件がその数字に加えられ、合計して30件のお店を思い出した。

これらの店名を全て正確に覚えていないのは単に忘却の彼方に追いやられてしまったのではなく、時にそれは目的地でもあるのだが、あくまで通学や遊びに行く時の途中に存在する30箇所の「カメラ屋」や「道具屋」や、その他のお店であったからに過ぎない。

それは散々通いつめた本屋(駄菓子屋でも良いが)の名前を知らないのと同じである。

何しろ通学でも遊びでも、親と買物に行った合間であっても、外出すれば必ず立ち寄っていたのだから「毎日のように」ではなく、文字通り毎日いずれかの店に顔を出していた。

30箇所の中で今も健在なのは僅かになってしまったが、それらの店に行くと今でも店主は子供のときと変わらない受け入れ方をしてくれる。そして、かつて店があった所に足を運ぶと心が痛む。自分の居場所が失われてしまったような寂寥感と喪失感に耐えられず、その道はなるべく通らないようにしてしまうが、失われた多くの店も私の記憶の中には全て揃っていて、記憶の中の店舗の扉を開けると優しい顔で出迎えてくれる。

思い返してみれば、年に1度程度しか購入能力がない、つまり商売にならない子供がチョロチョロ出入りしては色々な質問を繰り広げて店内に居座っているというのは店にしてみれば迷惑この上ない話だったと思う。
しかし一応客だからということなのか、どの店も一応は丁寧に扱ってくれたことが嬉しかった。

どのお店も店主は長年のノウハウがあり、カメラのドイのような量販店の店員も専門店としての知識と情報が豊富だった。色々と教えてもらい、いわゆる「耳年増」というヤツになっていたが、順列組合せで先の店で得た情報を次の店で実物を見て確認することも可能であった。また、時には生意気にも店員さんに教えたりもしていたのだが、その情報は図書館で読んだ本の中だと良い方で、他の店の店員さんに教えてもらったことだったりしていた。

そして、専門店と非専門店での品物に対する考え方の相違を感じてみたり、品物を見定めるコツを有言・無言で教えてもらったことが現在に繋がっていることを再度確認したりした。
その結果が今日の私であり、明日からの私になるのだと思うと少しく不思議な気持ちになったりすると同時に、何だか温かいものを感じる。

Kodak DX6490 Digital Camera
Schneider-Kreuznach Variogon 38-380mm
Belichtungsautomatik

COPYRIGHT:Coopiecat
(写真は今は無きお店で、結果的に友達と争って購入した「ZenobiaC1」というスプリングカメラ)
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by coopiecat | 2006-03-02 22:47
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