たまには?カメラの話を。(笑)

c0039094_23252062.jpg私にとって何とも魅力的な書籍、「PRAKTISIX BUCH」(正式にはDas Praktisix-Buch)がドイツより到着しました。

発行所はFOTOKINOVERKAG(日本語訳すると写真映画出版)で、発行年は1964年。
1964年といえば日本では東京オリンピックですが、「プラクチシックス」を製造していたVEBカメラ&キノヴェルケがVEBペンタコンに組織改変される年でもあり、「プラクチシックスⅡ」の発表を近々に控えている頃です。

この書籍は大変興味深いもので、使用写真に初期型~後期型の「プラクチシックス」が混在していて「KW」のファインダーを持つ個体の写真やら何やらが掲載されているのはもとより、写真では「Carl Zeiss Jena Biometar」とシッカリ書いているにも関わらず、文章は西側向けに「Jena Bm」だったり、レンズ周囲に明らかにエアブラシで「Jena Bm」と書き込んでいたり。

その他にも、現像液やフィルムの項目ではアグファ(AGFA)が丁寧に解説されていたりして、これには心打たれるというか、何とも言えない気分になりました。

というのも、アグファが拠点としていたヴォルフェン(Wolfen)は連合軍の割譲で東独領になったけれど、西側でもアグファが設立された結果、ある時期は東独・西独の双方でアグファのフィルムが製造されたという事態に。

これはツァイス(Zeiss)と同様の話な訳で、1950年代には東西アグファも東西ツァイスも交流・共存していた訳です。

しかし、時を経るにつれて東側ツァイスは西側市場で「Zeiss」の名前が使えなくなったし、東側アグファは会社そのものの名称変更を余儀なくされた結果、「オリジナル・ヴォルフェン(Original Wolfen)」に変更して、商品名を「オルヴォ(ORWO)」にした。

西側&連合軍主導で行われたツァイスの分断については「東ドイツカメラの全貌」でリチャード・クー氏が指摘してもいるのだけれど、更にアグファの事例を思うと、何で西側主導…というか、連合軍主導で一方的に物事が進められてしまったのだろう?と思わずにいられなかったり。

これはイデオロギー的な事を抜きにして、「なんかさぁ…」な感じなワケですよ。
ドイツ人はどう思っていたんだろう??

そう思いながら目を通している(あくまでも「読む」ではナイ)と、東西陣営に気を遣ったりしながら、適度にゴチャゴチャにして「にやり」としているような姿が感じられたり。

と、そんなコトを考えてみたりしたのでした。

追記:この新たな書籍入手に伴い、また、御協力頂いた資料等をふまえhttp://praktisix.comの更新を行いました。お時間のある時にでも御笑覧下さいまし。
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by coopiecat | 2008-04-01 23:59 | カメラ/写真
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