2005年 02月 16日 ( 1 )

やるせなさ

c0039094_2252764.jpg待てど 暮らせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよいは月も出ぬそうな

暮れて 河原に星一つ
宵待草の花の露
更けては風も泣くそうな

「宵待草」
(竹久夢二作詞・西條八十第二節作詞・多忠亮作曲)

この曲、愛唱している曲というわけではない。
突如として頭の中に流れてくる曲。
音楽の時間に習った記憶は無く、どこかで耳にしただけである。

多忠亮の曲が奏でる旋律の美しさ。
竹久夢二と西條八十が紡ぎ出した言葉の美しさ。
その全てが「宵待草」というタイトルを伴って、私の中で一つの世界を展開している。

ところが、素直でない私は不要な分析を試みている。
ある意味冒涜である。

竹久夢二作詞の第一節。
私は哀調の中に、何やら自嘲めいたスタンスを感じてしまう。
それは、「やるせなさ」の一言に集約されているように思える。

西條八十作詞の第二節。
そこには自身が置かれている現状を美化しつつも、
確実かつ切実に受け止めているようにも思える。
自らの姿を客観視した時、周囲に存在する救いの手に気がつくことを含めて。

そして、つらつらと考える。
「孤独」とは、自身の思い込みなのかもしれない。
自らが作り出した世界に、自ら閉じ篭ることで発生するのではないか。
それは、「孤独」は「社会という受け皿」があるが故に成立するというように考えると判りやすいだろう。
その点を鑑みると、「完全な孤独」を成立させることは大変な困難を伴う。

「寂しさ」を自認することへの気恥かしさ、
周囲に「寂しいんだ」と思われる事への気恥かしさ。
それを「孤独」という言葉でゴマカシテいるのかもしれない。

ところで、私は何でこの曲を不意に思い出すのやら…。

理由は判るような判らないような。
それだけ深い「何か」に根ざしているのだということは判る。


Canon EOS 1-N
Canon Lens EF 50mm 1.4
AGFAPAN APX 400
1/250 F2.8

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by coopiecat | 2005-02-16 22:45 | たわごと