2005年 04月 19日 ( 1 )

表現することについて (今日も長文)

c0039094_2154783.jpg「多くの方の御意見を賜りたく存じますので、最低一週間は更新をしない予定にしております」なんて言っておきながら、自分自身が煮詰まって一週間待てなかったり…

「表現すること」ですが、このテーマは、芸術全般の古い課題である「職能者(アルチザン)なのか、表現者(アーティスト)なのか」という点に帰結します。

私がこの点に関して写真を媒介にして強烈に感じるのは、先にも触れたように「写真とは、撮影者が現場に居なくては撮影できない」という点は否定できない現実と、そこに機材や現像処理という「超客観視」が存在していることに他なりません。

職能者の場合、私観を捨て、客観であるかのように個人の視線を置き換える、取捨選択するといった事が求められます。そのために、機材や現像処理という「科学」が本来持っている「超客観性」及び再現性を活用します。

表現者の場合、私観のために機材の選択や、現像を始めとした加工処理などなど、科学をも用いるという展開を行います。

これらは一見すると背反する存在のように思えますが、「手段が目的」になっていたり、「目的のための手段」であると考えた場合、突き詰めれば同一根源のものと言えなくはない。

加えて、「他者の目に触れる」という点では、経過の相異こそあれ、やはり結果的には同一のものと考えることができるのではないかとも。

そこで大変迷ってしまうのです。
「じゃ、何やってるのか?」と。

私は「何か」を求めている。
私は「何か」を伝えたい。

私は…その「何か」を、写真を通じて知りたくてたまらないのです。

次なる展開(またも大きな飛躍!)ですが、「誰に伝えたいのか?」になります。

多分…それは、誰にでも良いんです。

って言うと随分投げ槍な言い方ですが、表現する事で自己の存在意義(アイデンティティ)を見出し、少数でも良い「誰かしら」に共感して頂くことによって、例え錯覚でも良いから自今の存在意義を確立できることによって得られる安心感を得たいのではないかと。

批判されたって構わない。
批判されるってことは、自分が存在しているからこそだから。
(身勝手なネガティブなポジティブ思考やね:笑)

そして、そこに「時間」という不可避な現象を利用して「共通の美意識」とか「共有する時間」なんて言い回しをして他者に依存している自分が居たり。

イヤですね。まったく。
(って、自己卑下することで存在をアピールしてるね…って客観視するコトで自分自身で自己の存在を再確認しようとしてるね…)

でも、更なるイイワケに聞こえるかもしれないのだけれど、多くの表現者、友達の方々、全ての方に感謝しているのはホントだよ。

「ありがとう」って月並みな言葉しか言えないけれど、多くの方に触れ、刺激を受けさせて頂くことで自分自身が成長させて頂いていることを実感してマス。

う~ん、何書いてるんだか自分でも判らなくなってしまいました。
ダラダラした長文を読んで下さった皆様に感謝!

Kodak DX6490 Digital Camera
Schneider-Kreuznach Variogon 38-380mm
Belichtungsautomatik

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by coopiecat | 2005-04-19 22:02