2007年 09月 17日 ( 2 )

わけがわからん

連休中はとかく不規則な生活時間で生活し、その中でアレをやってはコレをやり…考え事をしては途中で別の事を深く考えたりと、まとまりの無い生活でした。これはフロイトがいう所の「エゴ」「イド」が抑圧状態にあって「スーパーエゴ」が防衛機制を発動しているのでしょう。

そんな不毛な生活の中の短い睡眠時間の中、木村伊兵衛が夢の中に出てきました。
色々な場面で名前は見るものの残念ながらお会いした事は無い方です。

夢の中で、私は何故か、木村伊兵衛と知り合いの写真家方が会議?対談?雑談?をしている現場で写真を撮らなくてはならない役割。緊張して現場入りして、鞄の中からズマリットを装着した愛用のM3を取り出す…そうすると、今まで皆と話をしていた木村伊兵衛氏が私の方を振り返り、「ほほう、良いですね」と。更なる緊張が高まった所で目が覚めました。

最近写真を撮っていないから?
以前登場したブレッソンに続くライカ系御大の夢への登場は何なのだろう??
まったくわけがわかりません。
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by coopiecat | 2007-09-17 19:31 | カメラ/写真

問題の行き着く先

私は考え方が屈折しているせいか、殊更に話合いや揉め事、相談というのを難しく考える。
相手が自身に否が無いと考えている場合や、解決する気が無い話合いは大変な気力と体力を使う。粗末に…というか適当に扱っても良い関係ならば割切るといった手段もあるだろうが、私の場合は性格的に「適当にあしらう」とか「割切る」という事が難しい。大切だと思う人ほど、その傾向は顕著になり、手を抜くことが出来なくなった結果、話合いが長引いたり、結果的に前より状況が悪くなる場合もある。

更に私の場合、話しているうちにプロファイリング…というか、現在展開している状況についてよりも「何故このようになったのか?」に興味が集中し、極度に客観的・根源的な部分について考え始める。その結果、例え自分が当事者であった場合でも、白熱するほど、事態が悪化するほどに冷静になって、自分の意見よりも先に一般論で回答・会話することや、根本的な部分から考える事を提案する。その為、人によっては堂々巡りであると感じる場合もあるようだ。

相談に対する姿勢は割合明確で、「相手は何を答えて欲しいのか?」を考えながら相手に接している時がある。というのも、多くの場合、相談とは「自分の話を聞いて欲しい」が最初にあり、次に「自分の考えに同意して欲しい」というのが前提にあると思っているからである。これは自分が誰かに相談する時にも思い当たる。

更に、話している人間の意見だけを聞いているということを忘れないように注意している。仮に問題が無いのだとすれば、そもそも問題は発生しないはずだから。とはいえ、自分が当事者の場合には、勝負だから「自分も悪いんだけれど」とは滅多に言わないが。逆に、自分の否を先に認めてしまうことが肝要ならば、それは最初に告げる。同様に、「あなたに問題は無いと思う?」という事を早い段階で聞くことにしている。

特に相手が衝動に駆られて行動していると思われた場合、決して安易に同調したり、盛り上げたりするような事はしない。それは一時的な感情の起伏かもしれないし、今後同様の問題を再発する可能性が考えられるからだ。こういう時、あえて言えば「暴走」を助長するような言動を相手にすることは、面白がっていたり、ひいては相手を軽視していることを意味しかねない。そうすることで、結果的に暴走している人が奇怪な行動や不可解な行動にエスカレートする可能性も否めないからだ。相手を知っていればいるほど、大切に思うほど安易な言動は慎まなくてはならないと思う。

よく「話を聞いてくれるから」や「私の意見に同調してくれるから」ということで「友達」という言葉を安易に使っている人を見る。確かに、そういう人達と一緒にいる事は楽であり、一見楽しいような錯覚を得る。が、多分それは違うのではないだろうか。時に反論し、時に意見・提案してくれる人こそが「友達」なのだと思う。私はそう思っており、そういう人に接すると、それだけ自分の事を考えてくれていると思い、自分で再度考える契機を与えてくれる人だと感謝する。そういう意味では、不謹慎な表現だが、揉め事の相手のように考え方が違う人に出会うことにも感謝する。

話合いや揉め事、相談といった物事に共通し、大切なのは「気付き」であり、「説得よりも納得」なのだと思っている。自分の頭で考えることを放棄し、安易に流れていたのでは逃げているのと同じである。何より、自分の価値観を押し付けたり、独善的な結論に達したところで満足が行くのだろうか?と思ってしまう。というのも、一方的な問題解決では相手に根深い不快感を植え付けたり、時に自分の良心の呵責が生じたりして、大局的に見た場合に事態は好転どころか展開もせず、自分も成長しないだろうから。

しかし、その問題が解決というか解消するまでには苦痛や時間がかかる、もしくは、それらが複合した「長時間の苦痛」が発生することも事実だろう。その時、どう立ち向かえるかが問題。

私は、憎悪が後を引かないようにし、誰もが納得することが肝要だと考えている。そうすれば、昨日まで問題の相手だった人間も味方になると思うから。
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by coopiecat | 2007-09-17 00:34