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私の現状分析 2

頭の中が混乱すると、それから逃避するかのように眠っている部分が覚醒を始める。それは一種の自己防衛本能の表れだろう。
私の場合、その指向性は考察であり創作である。創作の一環として料理というのも含まれるが、現時点ではコンロの故障と相まって不可のままなので、純然たる「モノづくり」に走っている。

c0039094_1405469.jpg古布風に刺子風の裏地をあしらう。リバーシブル仕様。


c0039094_1413153.jpg先日会津にて購入の紺色基調の縞地の木綿布に赤い扇風の絵の裏地をあしらう。リバーシブル仕様。


c0039094_143146.jpg同じく、先日会津にて購入の縞地美麗なる木綿布に赤い扇風の絵の裏地をあしらう。リバーシブル仕様。


c0039094_1435357.jpgトライアルモデル。フランスの有名ブランド風のシワを持つ合皮に、会津にて購入の紺色基調の縞地の木綿布を裏地にあしらう。一応リバーシブル仕様。



とまぁ、たまにはこんなコトにも取り組んでみたりしております。
やはり、何かに集中すること、停止してしまった領域とは別の部分の領域(もしくは停止していた領域)を活動させるさせるというのは大切なようである。これを一種の作業療法と考える事も可能であろう。
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by coopiecat | 2007-09-30 01:48

私の現状分析

数週間前のこと、突然、ある部分での人間関係が絶たれてしまったことに落ち込んでいる。

少し落ち着いてきたところで、自身の心の中に起きている動きについて纏めてみたいと思う。
これは日記でもあり、人間がとる一つの行動パターンとして書き記し、また、読んで頂きたいと思う。更に、同様の環境下に置かれてしまった方にとって、同様な心境の変化が起きた場合の参考になれば幸いである。

衝撃を受けて数日の間は、その事実に対する怒りや打開策の模索が始まる。この気持ちは、自身の価値観との相異や、理不尽であると思うほどに強い。この場合、相手に対する怒りよりも、状況に対する憤りの方が上回っている場合もあるだろう。

並行して、もしくはその後、絶望的と言って良いほどの強い孤独感に襲われる。自身の生活に密接していればいるほど、その思いは強いと思われる。生活の一角、心の一部分が喪失するのだから、喪失感を感じるのが妥当だと思われるが、全てが閉ざされ、失われたような孤独感を感じる。そして、失われたものに対する痕跡を探す。何も無い時に涙を流したり、原因も無いのに強烈な怒りを感じたりして、自分自身の精神状態が不均衡な状況であることを自認。

この時期は、外から見た場合には憔悴しているように見えるようだ。
事実、精神的に不均衡だから夢見が悪かったり、眠れないといった段階を経る。その他、記憶や集中力が極端に欠如したりといった兆候が見られる。

次に、外部との接触を積極的に模索するようになる。これは痕跡を探すのにも関連しているのかもしれないが、自分の居場所を見つける事によって孤独感の解消を目指していると思われる。そして、自分自身も努めて社交的になっていることもあり、この時期は外から見た場合にも復活したかのように見えるようだ。そして、記憶力や集中力も増大し、自分自身も安定するように思えるが、次の波が来る。

外部との接触をするうちに、他者に自分の置かれている環境を話すようになる。愚痴のような形態をとる場合もあれば、他人事のように話をする場合もある。これは自分自身が事態を納得、確認している動きと言う事も出来るが、現実感が増して来るという痛みを伴う。この時、同情してもらうよりも笑い飛ばしてもらう方が楽な気持ちになる。これは他の人も同様なようだ。

他の人も同様といえば、「何か新しいことを始める」という行動に出るのも同様らしい。

このようにして、少し前向きになった時、というか、前向きになる段階に達したからこそだろう、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の兆候が見られるようになる。
例を挙げるならば、スーパーに行った時に思い出がある物を見て、共にした食事や、共に行った買物を思い出して涙が浮かんでくるといった状態は初期の段階と言える。「何を見ても思い出す」といった範疇だろう。
これが進行して行くと、スーパーに近付く事にすら嫌悪感や恐怖感を感じるようになり、不安感や心拍数の増大、発汗といった症状を自覚する。この時は、みっともないように見えるかもしれないが、思い切って思い出した方が気持ちが楽になるような気がする。無理に忘れようとすれば、別の問題行動に発展するとも考えられる。
字義どおりに解釈すれば「心的外傷の後に訪れる兆候」なので、自分自身が「過去のもの」として認識しようとしているのだろう。

現在の私は、その状況にある。
次にどのような対処をすべきか。無理をせず、自分自身の内面と話合い、折り合いをつけながら進んでいくしかないようだ。

たかが失恋、されど失恋。だ。
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by coopiecat | 2007-09-25 00:41

写真展に行ってきました 2007-9-23

職場の旅行終了後、知人の作品展に立ち寄ってきました。

●岩田めぐみ「思ひの色」
 会期:9月22日(土)~10月7日(日)11:00~18:00 最終日17時
 会場:松島ギャラリー3F(東京都中央区銀座3-5-6 松島眼鏡店 TEL.03-3535-3455 http://www.ginza-matsushima.co.jp/  ←旧ライカギャラリー

です。

この方は「日本の伝統工芸」を主に撮影している方で、初の個展。
大変な努力と時間を惜しむ事無く注ぎ込んだ作品です。
是非とも多くの方に見て頂きたく存じます。
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by coopiecat | 2007-09-23 22:24

本を買うこと・本を読むこと 2

東京駅に向かう電車の中吊りで高野秀行氏の新刊を発見!
昨日書いて再読を思いたった「アヘン王国潜入記」(集英社文庫)が鞄に入っているにも関わらず、東京駅の書店に突進。といった感じでスタート。

●怪魚ウモッカ格闘記 インドへの道 (高野秀行 集英社文庫)
 まさに「タイトル通り!」というのが実感。様々な人達との出会い、積極的かつ客観的な状況分析と行動。やはり高野氏の作品は面白いと思う。合計3時間で読了。繰り返しになるが、まさに「タイトル通り!」というのが実感。

●「トリプル・クロス」 上・下巻 (ブライアン・フリーマントル著 松本剛史訳 新潮社版)
 時間がかかかると思っていたのに、思わず短時間で読了してしまったため、次の書店に突入して求めた作品。フリーマントルの作品は「消されかけた男」の、いわゆる「チャーリー・マフィンシリーズ」と言われるものに始まり、「プロファイリングシリーズ」は読んだり読まなかったりであったが、「ダニーロフ&カウリー」シリーズへと連読を続けた。これはその最新刊に相当。ロシアとアメリカが舞台になっている。と、ここまでは読む前に判っている部分。これから読み始め。

●「ダライ・ラマ 科学への旅 原子の中の宇宙」 (ダライ・ラマ著 伊藤 誠訳 サンガ)
 ダライ・ラマ関連の書籍は見つける度に読んでいる状態。宗教と科学、一見すると相容れない内容に思えるが、その背景には共通するものが流れていることを感じる。宗教と科学、この関係を昇華することで得られる幸福が感じられる。もしかすると、それこそが真実の世界、理想の世界と感じられる。

●「数で考えるアタマになる! 数学オンチの治しかた」 (ジョン・アレン・パウロス著 野本陽代訳 草思社) ←再読&未読了&再読&未読了…(以下くりかえし)
 多分、読み終えるには相当の努力を要する事が想像される本。数字嫌い、理系コンプレックスという自分の事はさておき、「何でここまで数字で片付けようとするのか?」という疑問…を通り越して不快感すら・・・。内容には触れないが、例えば「誰かが誰かに遭遇する確率」という事は世界人口を基に算出するのだろうが、たとえ「何億分の一の確率」であったとしても、「何億文の一の確率で会えることは判っているのだから、それは偶然とは言えない」といったような論調が連続している。「事態に対して情緒や理性が発動され、考察を経て結果に到達する確率ってのも出るって言うのか?相手が居る場合は、例によって2乗だっけか?」などと叫び、不意に本を遠くに投げつけて(本に対して絶対そんなコトはしないが)、「判ったからって何になるのさ?」と言いたくなる。そもそも、「数学オンチの治し方」という姿勢が気に入らない・・・なんて言いたくなる。まったく!とはいえ、「そういう考え方もあるか」とか、「そういう割切り方もあるのね」という感心が多いのも事実。難しい本である。
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by coopiecat | 2007-09-23 21:54

本を買うこと・本を読むこと

身には付かないが、とかく色々な本を購入して乱読する傾向がある。
最近購入した書籍は下記のとおり。(注:読了した訳ではない!)

●本の雑誌 10月 アカトンボきょろり号(本の雑誌社)
 読了後捨てきれないこともあって、あまり雑誌を読まないようにしているのだが、この「本の雑誌」は、ここ数年くらいか?最近読み続けている。色々な方が得意ジャンルで新刊から旧刊まで紹介されていて、興味ある分野はもちろん、今まで読んだ事が無い分野にも進出しようと思うきっかけになる。

●ワセダ三畳青春記(高野秀行・集英社版)←再読
 高野氏の作品は面白いと思う。有名なのは秘境を始めとするナゾの海外旅行系のものであるが、怪獣を追ってみたり、タブーとされる麻薬地帯に飛び込んでみたりと、明確な目的を持って旅立ち、常に現地の人々と直接接しているだけのことはある。そういう意味では、この作品は異色かもしれない。タイトル通り、ワセダという狭いエリアの中に存在する三畳間で青春を楽しんだ高野氏の経験が描かれている。私とは縁が無いであろう非日常的日常生活の中に、自身にも経験がある青春期の思いが巧みに織り交ぜてあり、深い共感を持つ。

●魔境アジアお宝探索記(島津法樹・講談社+α文庫)
 先の「本の雑誌」10月号で高野氏が紹介していた書籍。アジア各地で骨董品を収集して転売することが主題となっている。断言してしまうと問題あるのだろうが、骨董という時代を商品にしている商売には、高尚なフリをしつつ何かしらの後ろ暗さが感じられるものだが、島津氏は明確な意思を持ち、ドライかつ人間的に骨董と、それらを取り巻く品物に接している。何より、やはり情報と知識が裏付けされることで利き目が生まれることを感じる。

●スパイの世界史(海野弘・文藝春秋)
 主に第一次世界大戦から1990年代までの著名なスパイの紹介。表があれば裏がある。闇があるからこそ光は存在できる。時代を翻弄したのか、時代に翻弄されたのか判らない「スパイ」という存在。安直な表現だが、そこに悲哀と興奮を感じると同時に「結局のところ戦争や東西冷戦って何だったのだろう?」と思ったりもする。

●うおつか指南 世直し料理 作っちゃる!(魚柄仁之助・世界文化社)←再読
 朝日新聞夕刊「マリオン」に掲載された「食べちゃる!」に加筆修正したもの。同氏同出版社から「食べちゃる!」も出ている。私が具体的に食について再考したのは、魚柄氏の著になるところが大きい。北部九州弁で書かれている部分も多く、私には読みやすい。今まで読んだ同氏の著書に掲載されていた料理を多く試してみたこともあるが、しばらく料理に向き合う気力が無いので、同氏の書籍を読み直すだけの日が続きそうだ。

●米原万里「愛の法則」(米原万里・集英社新書)←未読
 2006年5月に亡くなられた、ロシア語通訳にして稀代のエッセイストであった米原万里氏の講演録集。通訳の必要から生じたのか、本人の意思であったのか、身につけていた多くの知識と経験から紡ぎ出されるエッセイは含蓄に富んでいて興味が尽きない。この書籍については未読なので何とも言えないが、明日から読み始める予定。

●世界を旅する単語集シリーズ 日本語・ウクライナ語 ウクライナ語・日本語単語集(阿部昇吉編著 オレナ・シェペレワ監修 国際語学社)
 初めてネット通販で購入した書籍。専門外である私が言うのは何だが、ウクライナ語関連の書籍は少なく、かつ安価に販売されているものは少ないので興味深い。何といっても監修者が私のロシア語の先生であるから、それだけで購入したようなもの。使う事があるのかは判らないが、機会があれば使いたい書籍。海外には興味が薄い私だが、ウクライナには是非行ってみたいと思っている。

とまぁ、最近はこんな感じです。
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by coopiecat | 2007-09-20 23:25

わけがわからん

連休中はとかく不規則な生活時間で生活し、その中でアレをやってはコレをやり…考え事をしては途中で別の事を深く考えたりと、まとまりの無い生活でした。これはフロイトがいう所の「エゴ」「イド」が抑圧状態にあって「スーパーエゴ」が防衛機制を発動しているのでしょう。

そんな不毛な生活の中の短い睡眠時間の中、木村伊兵衛が夢の中に出てきました。
色々な場面で名前は見るものの残念ながらお会いした事は無い方です。

夢の中で、私は何故か、木村伊兵衛と知り合いの写真家方が会議?対談?雑談?をしている現場で写真を撮らなくてはならない役割。緊張して現場入りして、鞄の中からズマリットを装着した愛用のM3を取り出す…そうすると、今まで皆と話をしていた木村伊兵衛氏が私の方を振り返り、「ほほう、良いですね」と。更なる緊張が高まった所で目が覚めました。

最近写真を撮っていないから?
以前登場したブレッソンに続くライカ系御大の夢への登場は何なのだろう??
まったくわけがわかりません。
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by coopiecat | 2007-09-17 19:31 | カメラ/写真

問題の行き着く先

私は考え方が屈折しているせいか、殊更に話合いや揉め事、相談というのを難しく考える。
相手が自身に否が無いと考えている場合や、解決する気が無い話合いは大変な気力と体力を使う。粗末に…というか適当に扱っても良い関係ならば割切るといった手段もあるだろうが、私の場合は性格的に「適当にあしらう」とか「割切る」という事が難しい。大切だと思う人ほど、その傾向は顕著になり、手を抜くことが出来なくなった結果、話合いが長引いたり、結果的に前より状況が悪くなる場合もある。

更に私の場合、話しているうちにプロファイリング…というか、現在展開している状況についてよりも「何故このようになったのか?」に興味が集中し、極度に客観的・根源的な部分について考え始める。その結果、例え自分が当事者であった場合でも、白熱するほど、事態が悪化するほどに冷静になって、自分の意見よりも先に一般論で回答・会話することや、根本的な部分から考える事を提案する。その為、人によっては堂々巡りであると感じる場合もあるようだ。

相談に対する姿勢は割合明確で、「相手は何を答えて欲しいのか?」を考えながら相手に接している時がある。というのも、多くの場合、相談とは「自分の話を聞いて欲しい」が最初にあり、次に「自分の考えに同意して欲しい」というのが前提にあると思っているからである。これは自分が誰かに相談する時にも思い当たる。

更に、話している人間の意見だけを聞いているということを忘れないように注意している。仮に問題が無いのだとすれば、そもそも問題は発生しないはずだから。とはいえ、自分が当事者の場合には、勝負だから「自分も悪いんだけれど」とは滅多に言わないが。逆に、自分の否を先に認めてしまうことが肝要ならば、それは最初に告げる。同様に、「あなたに問題は無いと思う?」という事を早い段階で聞くことにしている。

特に相手が衝動に駆られて行動していると思われた場合、決して安易に同調したり、盛り上げたりするような事はしない。それは一時的な感情の起伏かもしれないし、今後同様の問題を再発する可能性が考えられるからだ。こういう時、あえて言えば「暴走」を助長するような言動を相手にすることは、面白がっていたり、ひいては相手を軽視していることを意味しかねない。そうすることで、結果的に暴走している人が奇怪な行動や不可解な行動にエスカレートする可能性も否めないからだ。相手を知っていればいるほど、大切に思うほど安易な言動は慎まなくてはならないと思う。

よく「話を聞いてくれるから」や「私の意見に同調してくれるから」ということで「友達」という言葉を安易に使っている人を見る。確かに、そういう人達と一緒にいる事は楽であり、一見楽しいような錯覚を得る。が、多分それは違うのではないだろうか。時に反論し、時に意見・提案してくれる人こそが「友達」なのだと思う。私はそう思っており、そういう人に接すると、それだけ自分の事を考えてくれていると思い、自分で再度考える契機を与えてくれる人だと感謝する。そういう意味では、不謹慎な表現だが、揉め事の相手のように考え方が違う人に出会うことにも感謝する。

話合いや揉め事、相談といった物事に共通し、大切なのは「気付き」であり、「説得よりも納得」なのだと思っている。自分の頭で考えることを放棄し、安易に流れていたのでは逃げているのと同じである。何より、自分の価値観を押し付けたり、独善的な結論に達したところで満足が行くのだろうか?と思ってしまう。というのも、一方的な問題解決では相手に根深い不快感を植え付けたり、時に自分の良心の呵責が生じたりして、大局的に見た場合に事態は好転どころか展開もせず、自分も成長しないだろうから。

しかし、その問題が解決というか解消するまでには苦痛や時間がかかる、もしくは、それらが複合した「長時間の苦痛」が発生することも事実だろう。その時、どう立ち向かえるかが問題。

私は、憎悪が後を引かないようにし、誰もが納得することが肝要だと考えている。そうすれば、昨日まで問題の相手だった人間も味方になると思うから。
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by coopiecat | 2007-09-17 00:34

ちがう!!

サラサーテの「ツィゴイネルヴァイゼン」他が収録されているCDを聴く。

特に「ツィゴイネルヴァイゼン」では超絶的技法が駆使されているのは充分判るのだが、やはり「ちがう!!」と思ってしまう。
イングウェイ・マルムスティーンのエレキギター超絶早弾はCDでも感激するのだけれども、ヴァイオリンの場合には物足りなさを感じてしまう。

音響設備が思いっきり貧弱というか、古いCDプレーヤーを物凄く古いラジカセ(笑)に接続した状態だから満足な伝達状況に無いとは思うのだが、その真相は、かれこれ20年以上前に私の従兄弟が聴かせてくれたヴァイオリンの演奏が根底にあるのだと思う。

弓が弦に触れる刹那の緊張感と、その後に訪れる空気の振動が欲しい・・・
その振動の中に身を委ねる心地良さが欲しい…
文字面だけではなく、言葉に入り混じる息づかいが欲しいとでもいうのだろうか、
「判るんだけれども伝わらない」というモドカシサを感じてしまう。
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by coopiecat | 2007-09-16 04:58

今さら…

今さらになってしまうけれど、「神に祝福された声」を持つ方、イタリアのテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)が 2007年9月6日に旅立たれました。

身体つきに似合わない軽やかな美しい声(ゴメンなさい!)と、(身体つきに似合った)強い響き(ゴメンなさいっ!!)は大変魅力的でした。何といっても愛嬌のある表情は素晴らしい。
そして、ダイアナ妃と親しかったということで妃の葬儀で歌うよう招待されつつも「とても悲しくて歌うことはできない」と言って辞退したとのこと。それを知った時、その優しい心も素敵だと思いました。

最近私が見たのはトリノオリンピックの開会式で「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌い上げた時。本当に素晴らしかった。でも、何かが違うような…というか、振り絞って歌っているのが伝わって涙が出てきたのだけれど、結果的には、その場が最期の晴舞台だったとかで…。

疲れた時、眠れない時、プッチーニの歌曲を始めとしてオペラ系を聞く事が多いのですが、中でも気に入っているのは、ちょっと安易な感じがするかもしれないけれど1990年に収録された「パヴァロッティ/ドミンゴ/カレーラス 3大テノール世紀の競演」を聞く事が多いのです。このアルバムは、3大テノール、指揮者のズービン・メータ(Zubin Mehta)、フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団、ローマ国立歌劇場管弦楽団、そして聴衆の皆が一体化して楽しんでいる雰囲気が伝わってきて、聴いている自分も幸せな気分になる一枚です。

この一枚には、大切な裏話があります。
ホセ・カレーラス(Josep Carreras)は白血病に罹患した経験がありました。
彼は白血病支援団体の助力で舞台に復帰するのですが、その団体は、同じくスペイン出身でライバルだったプラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo)が設立した団体。その事を後に知ったカレーラスはドミンゴの足元に跪いて許しを求めたけれど、その時ドミンゴはカレーラスを立たせると2人で抱きあって復帰の祝福の意を伝え、友情を確実のものに。
そしてパヴァロッティは、母国イタリアで開催されたワールドカップ大会の開会式で3人の舞台を完成させたとのこと。

そこで収録されたのが、この一枚。

一番感動的なのが、16曲目の「オ・ソレ・ミオ」。
曲が始まる前に3人がメータをカラカウというか褒めており、観客と演奏者が盛り上がる。そして3人がアドリブを交えて交互に歌い上げ、時に3人揃って歌い上げ、その都度観客も盛り上がる。(ビデオを観ると如実!)

それに続く17曲目。ラストなのがプッチーニの「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」。
もう感激極まれり。

信頼と友情。多分、これが本当の愛なんだと思う。
私にとって大切な一枚。
今も流れています。
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by coopiecat | 2007-09-16 03:10

耐え難きを耐え…そして、作品展を見に行って来ました

色々なモノ、カメラや時計、色々な物が不可解なほどに壊れる。修理を終えたものも壊れ始め、本当に気持ちが悪い。

元々壊れていた物を修理したのだから、また修理すれば良いと思えば問題は無い。
何だって壊れ続ける時は壊れるものであり、修理できる時には不思議な程に修理が進むし、何年も「お手上げ」だったものが突如として修理できたりするのだから、これもまた不思議。
諦めることなくコツコツ手掛け、再び「良い時」が来るのを待つしかない。

物系で困ったのは、先週末頃に発生した据付型の電気コンロの破損。
2口のうち1口は数年前に壊れて修理を試みたが電気系は苦手ということ、もう1口と魚焼きのグリル部が生きていたので問題無しと判断して放置。

今回は、残る1口が破損したので、これは本当に参った。しかし、前回の経験もあって修理を試みても先行きは暗いし、そもそも据付だったので管理会社に連絡をして交換を依頼することにした。修復ではなく交換という手段が手っ取り早くて効果的な場合もあるのだと思ったが、自分の能力不足を悔いる。

交換には少々時間がかかるということだったが、調理器具という苦境を訴えるとカセットコンロを持って来てくれて、暫くの間は問題無く生活できそうだ。しかし、料理する気力が起きない。
食は大切だと思っており、創造性を刺激するという側面もあって調理は好きな分野なのだが、今は何故か調理を考えるだけで気分が暗くなってしまう。

物以外の部分では、修復については私だけの問題では無く、かといって物ではないのだから、誰かを頼って交換すれば良いという訳にも行かないので静観するしか無い。
こういう時も、再び「良い時」が来るのを待つしかない。

さてさて、職場の後輩達が離職して各自が作家活動を行い、16日まで展示会を行っている。
http://homepage2.nifty.com/littleko/schedule.html

地理的等々で苦手な地域ということもあって躊躇したが、頑張っている後輩達の作品には興味もあり、それらが良い物であることも知っているから、数日継続している睡眠不足に加え、昨夜以来継続している修理の手を休め、極度の疲労等で外出する気になれないものの車で出向く。

思いのほか無事に目的地にも到着できたし、出向いて良かった。
自信と緊張に満ちた後輩達は今まで見たことが無い雰囲気だったが、何より作品が後輩達の頑張りを如実に表わしていて心打たれた。

今あらためて思うのだが、「後輩達」っていう表現は適切ではない。
職場では先輩だの後輩だのっていう表現は成立したのだろうが、今は職場云々は関係ないのだし、何より製作者達の思いと作品に心打たれたのだから。

何かを作り出すこと、やはり、それは素晴らしいことだと思う。

そうそう、ギャラリー(なの?)は昼間はカフェ(?)をやっております。
鑑賞時に頂いたアイスコーヒーは美味でした。
最近流行りなのかなぁ・・・外で呑むアイスコーヒーのような「深煎り」だか「焦げ臭さ」ってのが感じられない味で。

疲れている時、頑張っている人達に救われた気がする。
感謝!
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by coopiecat | 2007-09-15 19:32