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休日の過ごし方

三連休。何とも…。
どうにも不可解なストレスや疲れを感じて若干体調不良な気配。
食材を購入すれども、相変わらず調理する気にならず。

とはいえ、一日家に居ると爆発しそうなので外出&外食。

何となく離れてしまっていた「うどん」、しかも九州系の「うどん」を食べたくなり、家から割と近い場所にある「ウエスト」へ向かおうと思ったものの今一つ場所が明確ではないので、ネットで店舗所在地を確認。このチェーン店は実家の至近にもあるので思い入れは強いのです。

あった、あった。でも、店舗が増えている?
しかも前から知っている店舗より便利な場所。

地図を見てみると…何と学生の頃に親しかった人が住んでいた場所の至近。もちろん何度も前を通ったことがある場所!!
まいりました。

とはいえ、もう何年も前の話。そこに居ない事も知っているし。
色々と周辺の景色が変わってました。でも、その人が住んでいた建物、まだ残ってたな。

c0039094_19215611.jpgうどん屋さんなのに「おでん」で申し訳無い。薄味の美味しい「おでん」が一品90円なり。
「うどん」が来るまで、好きな「牛筋」、「ちくわ」、「大根」を食べながら待ちます。

c0039094_19243972.jpg待つことしばし。来ました!私がいつも頼む「丸天・ゴボウ天うどん」です。
今日も揚げたての「ゴボウ天」のシャキシャキ具合が楽しみ!

c0039094_19262482.jpg この店舗の特徴は、「ネギ」と「揚げ玉」が入れ放題なこと。
でも、「揚げ玉」は入れません。
その代わりといっては何デスが、ネギ入れます。多めに。

c0039094_19294100.jpg 帰り道、久々に釣堀に。この釣堀も以前は屋外形式だったのが室内に改変。釣果は2キロ弱のコイが一匹。あ、よく言われる事ですが、「釣りとは何匹釣るかではなく、最初の一匹が重要」なのです。
予想以上の大物で、腕がフルフルになってしまいました。父と一緒に行った時の釣り、一人で行くようになった時、時折祖父が様子を見に来てくれた事。色々なことを思い出しながらウキの動きに集中。

竿を返しがてら超過時間分を支払う時に店主と会話。
「久しぶりで、全然感覚忘れてました」
「そっか。何でも同じだんべ。久しぶりだと上手くいかなないや。まして自然相手だとな。」
「そうですね。でも、何とか一匹釣れました。」
「そっか、それで良いんだ。良かったじゃねえの。」

何だか嬉しい言葉でした。
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by coopiecat | 2007-10-08 19:43

写真展に行ってきました 2007-10-07

遅ればせながら東京都写真美術館に写真展を観に行ってきました。
待ち合わせをすると必ず遅れてしまう悪癖があるので気をつけていたものの、待ち合わせ時間に恵比寿の駅に到着。時間読み違え。(-_-;;;

どうにも苦手な場所になってしまった「動く歩道」を通りたくなくて、外をテクテク歩いたら結構遠くて辟易。

現場に着いたら先方居らず。連絡すると、恵比寿駅に到着したところだと。(笑)

さて、

○「昭和」写真の1945-1989 第3部 昭和30・40年代(2)「高度成長期」
 これは第1部から観続けているシリーズ。正直申し上げまして、これだけ東京都写真美術館に連続して足を運んだのは初めてです。このシリーズは面白い。
 第一部、第二部は歴史的なものとして観た感じでしたが、今回は両親が東京に居た時期と重なっていることもあり、東京の写真を観ると「そうか、こういう時代を過ごしていたのだね」と思ったり、最後の方の時代の作品、桑原甲子雄氏の作品には「あぁ、こうだった」と思ったり。これって、第一部、第二部を観ながら話をしている年配の方と同じだと思って苦笑。月並みながら「歴史の中に生きている」ということを実感。

 再確認したのは森山大道氏の作品。最近また人気があるみたいだけれど、「ブレ・アレ・ボケ」を誤解していると思う。結局、印刷でしか見ていないと、本当に「粗」や「ハイキー」な写真にしか見えていないのではないだろうか。しかし、実際のプリントは違う。コントラストも残している粗粒子だから作品として強い。久々にプリントを観る機会を得たのだけれど、やはり興味深い。

○鈴木理策:熊野、雪、桜
 こういう展示方式もあるのだなぁ。と思った次第。美しいことは確か。

○キュレーターズ・チョイス07「対話する美術館」
 とにかく面白い。このシリーズは飛び飛びにしか観ていないのだが、キュレーター個々人の視線や考え方が反映されていて、「こういう人達が展示を手掛けているのか」と思うと美術館が親しく、身近に思えるのではないかと思う。中でも、知っている方の選出作品と、思い入れ存分なキャプションを観ると「なるほど~」とか、「あの人らしいなぁ」と思って笑えたり感心したり。

 展示を観た後は喫茶店でコーヒーを呑む。映画でもそうだけれど、観てきた作品を話し合うでもなく、風に吹かれて日が落ちつつあるのを眺めながら「のんびり」とするのは良いデスね。

 その後、渋谷で生地屋サンに行って「あ~でもない、こ~でもない」と言いながら色々な生地を見たり購入したりして、時間的にも丁度良いので食事とオサケ。
 不毛な日々を過ごしていた昨今、珍しく充実した一日だったと言えるでしょう。
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by coopiecat | 2007-10-08 01:01 | カメラ/写真

最近思うコト

数年前からですが、相変わらず世の中で「自分探し」というのが流行っているようです。

心理学に基づくものから遊びといった各種心理テストだったり、占星術や血液型を始めとする各種占い、出身県別の性格分析等々。

自己分析や「己を知る」という意味では大変結構だと思うのですが、

「私は~だから」という為の「言い訳探し」をしてないか?

と言いたくなる時もあります。

肯定的に、時に強気に「どうせ~だから」と開き直るための自分探しがあり、
それを誇示するのを見て安易に「君は君らしくしていて良いんだよ」と言う周囲が居り、
それを双方が「優しさ」だと勘違いして保たれる友人関係。

甘えです。甘やかしです。希薄であり、欺瞞です。

何の為に「自分」を探すのか?それは色々な理由があると思います。
何らかの理由による自己喪失(アイデンティティの危機)であったり、決断に迷った時、状況の整理や分析を経て「問題解決する為の模索」というのが理想的なのではないかと思っています。

作られたカテゴリーに安住するのは楽だろうけれど、そんな安易なことで良いのかなぁ?満足するのかなぁ??と思ってしまうのですが、結局満足出来ないから「自分探し」の流行が長続きしているのかもしれませんね。
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by coopiecat | 2007-10-06 21:15

許せない!

「許せないもの」というのは人によって色々あると思います。

私の場合は「礼儀をわきまえない」というのが割と大きい。
いわゆる「無礼」な行為に腹を立てるのではなく、その根底にある「自分の事を中心に考えていて相手の事を考えていない」という姿勢に腹が立てるというのが正確です。

それはさておくとして・・・
いや、それに関連しているな・・・

「許せない!」と思うのは誤字・誤植。
若干なりとも出版に関わっていることから、誤字・誤植は完全にクリア出来ないということは充分承知しているのですが、書籍等で見かけるとガッカリしてしまう事が多いのです。

事例1:現在でも人気の「各県や地方別の性格分析」のハシリとも言える書籍より

私の出身地の大切なお祭りである「山笠」に「やまがさ」というルビ。これは「やまかさ」が正しく、地元の人間に取材したならば絶対に誤読は考えられないもの。内容自体は大変興味深く読むことが出来たのだが、偏見かもしれないが「状況分析の甘さ」を感じてしまう。その結果、「現地を見なかった人にアレコレ言われたくない!」と思ってしまう。

事例2:考古学系をタイトルに冠する書籍より

1956年第6回ユネスコ総会採択「考古学上の発掘に適用される国際的原則に関する勧告」の引用で「考古学上の発掘とは、考古学的正確を有する物件の発見を目的とする、すべての調査研究をいう。(後略)」と記載。これは誤解を生じる誤字だけに問題は大きいと思う。

   考古学的正確を有する←×
   考古学的性格を有する←○

資料を基に考察して行くというのに「正確を有する物件」なんて存在するの?という疑問はもとより、ユネスコ総会採択の採択なんて文部科学省のホームページ公開されている(http://www.mext.go.jp/unesco/009/004.htm)し、他者が作製した文章を引用するのだから手元にも資料はあるはず。簡単に確認できないかなぁ?引用するならば、原文を作成した人に対する引用者の責任があるのでは??

これらの事例2点の残念なところは、どちらも導入部でこれらの誤字を展開していることである。
その時点で本の信憑性に疑問を抱いてしまう。更に、内容自体が興味深いだけに、最初の時点で読者を失望させているのは残念。

こうなってしまう原因はいくつも考えられる。

 1:書き始めてみたものの、実は無知であった
 2:正確な情報を基に書いていなかった
 3:著者の慢心で自身の文章を再読していない
 4:著者に対する遠慮の結果、編集者が流してしまった
 5:その他(活字棚がひっくり返った等)

理由は色々あるだろうけれど「無責任すぎはしませんか?」と思ってしまう。
結果として、編集者に対しても、著者に対しても、何より読者に対して失礼な結果だと思う。

ここにも「自分(達)の事を中心に考えていて相手(読者)の事を考えていない」という姿勢が感じられ、それって無責任だし失礼なことなんじゃないか?とも。

何より書籍とは後世に残る物。後の世代に間違った情報を提供する、つまり、間違った方向に誘導してしまうのは、ある意味「罪」だと思う。

えぇ、「人間だもの」(by.相田みつを )って言いたくなる気持ちは判ります。
私も間違いはするし、誤字・脱字、記述の誤り等は多々やってます。でも、「人間駄物」はイヤだなぁ。…と、そんな事を考えてしまうのです。
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by coopiecat | 2007-10-02 22:00

不意に思い出した

c0039094_23574623.jpg最初に買った車は「いすゞジェミニ ハンドリング・バイ・ロータス」だった。

ずっと前からプリンス、そして「スカイライン」が好きだったのだが、大学の友人が免許を取った時に親にムチャを言って「スカイライン」の新車を購入する経緯を見て悲しくなった。
そして、かつて「スカイライン」に立ち向かった車を検討する。「RX-3」や「ベレット」を候補にしていたが、予算の関係上無理。その結果、広告等で良い印象を持っており、「ベレット」と同じいすゞ製で値段も手頃だった「ジェミニ」を選択。

初めて手にする車。嬉しくて仕方なかった。
しかし、一ヶ月で自損事故で廃車に。自走で店に搬入できたから何とか修理可能だと思ったが、結局廃車するしか無い状況だった。かなりツライ思いもしたが、自分に責任があるのだから、その結果を受け入れるしか無かった。

次に買ったのは「いすゞジェミニ イルムシャーターボ」の初代(角目)モデル。「ハンドリング・バイ・ロータス」を買う前から気になっていた車だった。事実、最初に買う時にかなり迷った。「結局これになるのか」という気持ちに納得するような笑えるような。これが2台目。

何年かして渋滞中にオーバーヒート。偶然にも、当時町田にあったいすゞの販売店に近い場所だったので何とか自走で持ち込んで修理。ヒヤヒヤした。しかし、今、その販売店は無い。

その後、東京湾トンネルの中でタイミングベルトが切れてピストンとバルブが接触して、とうとうエンジンがダメになる。この時は代替エンジンを探したり何だりで長期入院を余儀なくされた。とはいえ、エンジン載せ替えで復活。そのため、2.5台目とカウントしている。

時には○○㎞/hオーバーで免停になったりしたものの、楽しく生活をしている時に突如貰い事故。この時も自走で店に持ち込み経過を待つ。結果、「古い車だから」ということで最初から廃車を提案される。

他者の介入で突然発生した楽しい生活の破局に直面して当惑したこともあるが、事務的な経過な上に理不尽な要求を突きつけられて激しく怒る。
相手の保険屋に泣きが入るほど必死の交渉を繰り返し、通常では不可能とされる割合比率の大幅向上を提示されるが、結果的には廃車せざるを得ず。

そして、次に来たのが現在乗っている「いすゞジェミニ イルムシャーターボ」。これで3.5台目。
やはり初代モデルなので外観等は同じだが、それまでマニュアル・シフトだったものがオートマチックに変更。今年の12月に車検が来る。「ジェミニ イルムシャー」は1986年登場だから、かれこれ20年以上経過してるのだね。

いつも新しい気持ちで乗れるから、それぞれが何年前の出来事だったかとかは覚えていない。時たま「あ!」と思うような車もあるけれど、「私にはジェミニがあるから」と思って実感を伴わずに眺めるだけ。

自分の車を駐車場で見かける度に嬉しくなる。
「やっぱり良いな」と思う。

それが長続きの理由かもしれない。
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by coopiecat | 2007-10-01 00:30