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一体何事?? (・_・)?

いつものように(?)真面目に(??)仕事をしていると、机の上の電話が鳴り、「○○さんという方からお電話です」と外線が入っている旨を伝えられる。

そこから外線に切り替わるまでの間、訝しく思う。

「○○」という姓は特段珍しい姓でも無いが、私の知る範囲では一人しか居ない。しかし、仕事上での付き合いがある人ではなく、過去には個人的な付き合いがあったが今は疎遠になっている。そんな人が今頃わざわざ職場に電話してくるというのは考え難く、そもそも該当する人物は、人に電話をかけさせても自分から電話をする事は殆ど無い。

あまりに不自然な事が多すぎる。

とはいえ、知らぬでは無い人からの電話ということもあって「もしもし?」と少々明るい声を出してしまったのだが、受話器から聞こえてきた声は、まるっきり○○とは異なる声。
そもそも性別からして違う。

一気に不信感は倍増で「どちらの○○さんですか?」と語勢荒く尋ねてしまった。
すると、電話の主は警察関係というか関連機関?な部門だそうで、「会社宛に連絡する際には電話を受けた人間に迷惑がかからないように組織名を告げて電話をするのは避けている」と、納得出来るような出来ないような、相手の事を気遣っているんだか気遣っていないんだか判らない説明だが、結果として不快感を抱いたのは事実だから感心はしない。

で、そんな人が何の用かというと、○○本人に関する身元照会のようなものであった。
○○と疎遠になっているとはいえ、不用意に個人の情報を流して良いとは思えないので躊躇したが、先方は何かと把握しているようで、基本的に「知っている」「知らない」といった簡単な回答で済むような質問の連続だった。

そして、「面白い」と言ってはイケナイのかもしれないが、それは後になって会話を思い返してみると、「知っている」と答えた項目に対してはさらに深層の部分を探るように、「知らない」と答えた項目に対しては再確認するような質問が周到に用意されていることが興味深かった。

加えて、質問の方向や表現を変えて同一内容を質問する方法が用いられていて、それは私が虚偽の発言をしていないかのチェックや、どの程度の認識なのかを確認するのに役立っていると思われた。

このように、回答者(今回の場合は私だが)の心理を巧妙に利用した実にプロフェッショナルな仕事を感じるものだったが、感心してはいられない。

おとなしく答えていた私であったが、「そういえば!」と思い、ここ数ヶ月ほど携帯電話への非通知設定からの着信、家の固定電話への着信&無言留守電が頻繁していた事について確認すると、どうも固定電話への連絡がつかなかった結果として職場に電話を入れたらしい。

よっしゃ。「ということは、私の連絡先を把握しておられるということですね?どのようにして入手されたのですか?」と、自分ではスルドイ一太刀をあびせてみたつもりだったが、ごくごく冷静に「それを入手するのも仕事ですから」と答えられてしまい、電話から大変怖ぁ~い物が伝わってくるという稀有な経験を・・・。

結局のところ「御協力ありがとうございました」の言葉で締め括られてしまったのだけれど、果たして○○本人もしくは周辺に何かが生じたのか、それとも、実は何かが生じているのは私の方だったりするのか?

とまぁ、何とも居心地の悪い経験をした出来事がありました。
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by coopiecat | 2008-05-31 03:37 | トラブル/私生活

和文と英文、そして涙… (。p_q)ぅー

英語に一切自信の無い私ですが、海外で講演をするにあたって自身の写真作品内容等を英訳して欲しいという依頼を受けました。

原稿自体は過去に開催した写真展で掲示したコンセプトで、A4判1枚に大きな文字で印刷された400字にも満たない程度と短文であり、起承転結が判り易い文章だったので受けてみたのだけれど、これが何とも難しい!!

オリジナルの文章を大幅に改変していますが、おおよそ下記のような文章。

―――――――――――――――――――――
私が最初に手にした一眼レフカメラは「オリンパスペンFT」でした。小学校の遠足の時、父から借りて少し重たいカメラを手にした時、自分が少し大人になったような気がしました。(起)
その時から写真が自分の趣味になり、撮影した時間の流れをプリントするようになりました。(承)
ある時、その制作活動の中で「オリンパスペンFT」を思い出し、2枚の写真を1枚にプリントするようになりました。(転)
自分の中での時間の経過や視線が一枚の印画紙の上に展開されています。(結)
―――――――――――――――――――――

はい、のっけから困難にブチ当たりました。

「起」部において、小学生の時に一眼レフカメラ、しかも「オリンパスペンFT」を手にしたとうことが問題!ではなく…(笑)

この文章、日本文としては何ら問題が無いように思えます。というか、問題ナシ。しかし、英訳するにあたっては問題大アリ。

冒頭の部分だけに着目した場合だけでも、少なくとも下記のような主語の設定が可能になります。

1:私が最初に使用した一眼レフカメラは「オリンパスペンFT」。それは私の父のカメラだった。
2:「オリンパスペンFT」は私が最初に使用した一眼レフカメラで、それは父のカメラだった。
3:私が最初に使用した一眼レフカメラは父の「オリンパスペンFT」だった

「承」に相当する部分に関しては、時系列も構文も明確なので問題はナシ。

続いて「転」に相当する部分になると問題勃発。
文章としては明確なのだけれど、まず、それぞれ完成していた「起」と「承」の関連性が必要な気がしてならない。
というのも、文脈上で一時的に中断していた「オリンパスペンFT」との関係を示さなくては「思い出す」ということは成立しないから。

同様に「結」に相当する部分でも、一見すると主語(一枚の印画紙)も明確なので問題無いように見えるけれど、この文章は作家自身の作品の方向性を示しているものであり、今までの写真に関わってきた生活の結論でもあるワケで。

結局、この文章を英訳するために数日を要しました。

オサケを呑んだり、食事をしたり、眠り、その合間合間に作家の写真に対する思い、今は亡き写真好きだった父上との関わりといった色々な話をしながらの数日を経て産まれた英文は下記のようなもの。

―――――――――――――――――――――
私が最初に手にした一眼レフカメラは「オリンパスペンFT」でした。
そのカメラは父のカメラで、小学校の時に父が使用することを許してくれた少し重たいカメラを手にした時、自分が少し大人になったような気がしました。
その時から写真が自分の趣味になり、色々なカメラを使用しながら、撮影した時間の流れをプリントするようになりました。
ある時、その制作活動の中で「オリンパスペンFT」を思い出し、ハーフフレームの写真2枚を1枚の印画紙にプリントするようになりました。
そうすることで、自分の中での時間の経過や視線を定着することができるようになりました。
―――――――――――――――――――――

私が翻訳した英文は当たり前だけれど稚拙なものだから判り易かったみたいで、それを読んで、最初の和文とは大幅に異なっているけれど、作者の目に涙が浮かんでいました。

今まで自分でも言葉に出来なかったけれど、「オリンパスペンFT」を使用して作品製作をしている理由はそれなんだってさ。

「今、自分が写真と共にあるのはお父さんのおかげだ」って。
「ありがとうを伝えたかった」って。

それを聞いて、私も泣いちゃいました。
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by coopiecat | 2008-05-13 22:32 | ことば

むぅぅぅ…

いや、絶対観ないのデス。

福岡がらみ…
強気な台詞を言う深津絵里…
時折混じる博多弁…

いえ、観てません。
観てませんってば…。
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by coopiecat | 2008-05-12 21:34 | 九州

おのれはウイルスか?? ┻━┻ミ\(≧ロ≦\)オリャァァァァァ!!!

ちょ、ちょ、すまんばって聞いちゃりぃ。あ~もう、腹の立つったら無いっちゃんね。どげんしちゃろうかね?

(訳:恐縮ですが、ちょっと聞いては頂けませんでしょうか。もう、腹が立つったらありません。どうしたら良いのでしょう?)

どげんもこげんもね、「あんたくさ、そげんことしよったらボテクリコカスばい!!」っちゅぅごたぁ事のあったとデスよ。

(訳:どうしたもこうしたもありませんよ。「あなたね、そんなことをしていたら足腰立たなくなるまで存分に殴ってしまいますよ!!」と言いたくもなるような事があったのデスよ。)

いかんいかん。
冷静に…クールだうん…

こうした公共の場で個人攻撃をするのは好まないのですが、何が腹立つって、「ノートン・アンチウイルス」ですよ。

いえ、「ノートン・アンチウイルス」自体は悪く無いのですが、ソレをアンインストールした途端ヒドイ目にあっています。

真っ先に出た症状は「ウィンドウズが立ち上がらなくなった」という状態で、これは起動時に「F8」キーを押して「ステップ・バイ・ステップ」で立ち上げ、問題箇所をパスしながら起動することで立ち上げに成功。

しかーし!
1:メールの送受信が満足に出来ない
2:インタネットの接続不安定

コレはOSの上書き(98はコレが可能…幾度かやっているけど「可能」と言って良いのかはナゾ)やらバックアップデータで何とか回復。

という事で、普段使う分には問題無かったのだけれど、今日になってCDを入れてビックリ!

再生できん!!  (@o@)

ハードウェアやサウンドカードの再認識を繰り返していると、リアルプレイヤーは映像・音声共に再生できるけれど、メディアプレイヤーは映像のみで音声不可、CDは相変わらずダメ。

「もしや?」と思ってメインプレイヤーをリアルプレイヤーに設定しても、やはりメディアプレイヤーは映像のみで音声不可、CDは相変わらずダメダメ。

これらは全て「ノートン・アンチウイルス」をアンインストールした時から始まっているのデスよ。

そんでもってノートン屋さんにアクセスして、そのページの指示に従って最新の「アンチウイルス」を購入・ダウンロードしたら「98には非対応」とかでダウンロードできないし。

もちろん返品希望で電話すれども、そこはソフト屋さんの常。「営業時間帯は受話器を外しているのではないか?」という程に繋がらない。

必死になってノートン屋さんのページの隅々まで探した結果メールサポートに辿り着いて返品・アンインストール方法を教えてもらったは良いものの、やっぱ不具合は継続!しかも前より反応悪いアプリケーションが出てきた!!

もう一度メール送信しようと思ったものの、ネット経由で送信したせいか、送信先が二度と判らないようになってるし。(先の返信メールには「これに返信しても、ワシ知らんけんね」と書いてあるし)

この10年近く無敵を誇ってきたPCなのに、一気に不具合連発です。

不具合といえば最近、通勤に使っている西武線が人身事故が多くて今日も大変な目にあったし、昨日は大きな地震もあったし…。

これって全て…??
と思いたくなる今日この頃です。
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by coopiecat | 2008-05-08 22:08 | トラブル/私生活

増殖する時計… (>_<)

c0039094_0271780.jpg片付けにチャレンジしている昨今ですが、部屋の中で何といっても目に付くのがカメラと時計。
もう、どーしようもない程の数量に達してマス。

なんでこんなに蔓延っているのか?というと、もちろん「使うために購入する」ということは言うまでも無いのですが、その前段階で「修理をしたいから」というコトもあり。

これはカメラも時計も新品で買えなかった小~中学生の時期に端を発しており、その時から「中古」の存在を知り、更に、専門店で購入するよりも古道具屋で購入する方が低廉と知って以来。

中でも時計は価格帯が幅広く、不動品なら数百円単位で購入できるものがあって、そういうものを食費を削って購入しては分解しました。

最初のうちは分解に留まっていたけれど、時計というのは基本的に歯車類が平面的な配置になっていることから、そのうち構造を把握して問題点も見えてくるようになって、ボツボツと動くものを組み立てられるようになりました。

そうすると、どこに問題があるものを買うと修理に苦労するのか、容易に修理できるかを見極められるようになり、続々と動き出す機械を前にして修理が面白くなってくるという流れに。

ストップウォッチ機構が装備された「クロノグラフ」も好きだけれど、やはりシンプルだからこそ美しく奥深い「中三針」(なかさんしん)の系列が一番です。

中でも、1950~1960年代のセイコーとシチズン製品のうち「S」なり「C」の文字が文字盤に浮き出している、通称「Sセイコー」や「Cシチズン」と言われるシリーズは最高に面白い。

「Sセイコー」や「Cシチズン」には6時位置に小さい秒針を持つ「スモールセコンド」という系列の機械もあるのですが、これはさすがに時代的に古いのか出物が少ない。

同じ「中三針」でも初期の製品は通称「出車中三」(でぐるまなかさん)と呼ばれる構造を持つ機械があるのだけれど、一般的な「中三針」の方が機械的にも無理が無く、整備や調整も容易です。
そして、こういう機械は一番優れた機械なのではないか?という結論に達したのも中学の頃。

まぁ、そんなこんなで20年以上、古道具屋サンやフリーマーケットで動かない時計を見ては、放って置けなくてメーカーや種類を選ばず購入・修理の連続。そりゃ数も増えますわな…。
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by coopiecat | 2008-05-05 00:28 | 時計

写真はむずかしい!

「上手い写真」や「下手な写真」といった評価があるけれど、その表現は何とも苦手で…

というのは「他の人の視線を評価できるのか?」という意識が先行してしまい、視線はもちろんのこと、その人の姿勢や存在全般に対して云々言っているような気がしてしまうからです。

関連して…
長い事写真の世界に身を置いていると、

「何を撮って良いか判らない」
       とか
「良い写真って何ですか?」

といった質問を受ける。

「上手い」とか「下手」っていうのは、構図やら測光、測距といった技巧的な側面というか客観的な話であって、「何を撮る」とか「良い写真」というのは主観的なもの。

結論として、「撮りたいものを撮れば良い」と思うのです。

そして、撮りたいものが撮れるということは幸せなことであり、それが撮れるということは、測光も測距も構図も完成できたということで。

カメラに限らず「道具」ってのは身体の延長なのだから、「見るように撮る」というのが究極的な目的なのかなぁ?と思ってみたりしている次第。

そこでもう一つ出てくるのがフォーマットの問題。

それは自身の視線でありながらフォーマットに支配された視線なのではないか?という事。

私の場合、正方形の世界と長方形の世界に分けて考えている所があります。

24×24であれ、60×60であれ、それは正方形。
安直に「縦横が無い世界」といった捉え方ではなく、前後左右に広がりを持つ球体的な空間を反映させたい。

18×24、24×36、60×70、60×90、そして4in×5inといった長方形の場合には、どうしても一般的な視覚認識を反映させて撮影しているような気がしてしまう。

そう考えると、人の視線や視覚、そして空間認識って何なのだろう?と思うワケで。

なかなかムズカシイものがあります。

そして↓は、自分らしくはないけれど、何だか気に入っている最近の写真です。

c0039094_226403.jpg


撮りたくて撮ったんだけれど、何だか自分とは違う雰囲気。これは何なのだろう?と思ってみたり。

この写真の撮影前後の事を思い起こすと、ちょうどハービー山口氏に急速に惹き付けられた時期で、彼のように「見たままを撮りたい」と思っていたのは確か。

でも、当たり前だけれどハービー山口氏の世界とは全然違うし、先にも書いたように自分の雰囲気とは違っている…。

やはり写真って、むずかしいものです。
そして面白いもの。
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by coopiecat | 2008-05-04 02:27 | カメラ/写真