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突然の出会いと別れ

就職してから十数年、毎日ほとんど同じ時間の電車に乗り、毎日ほとんど同じ時間に職場に到着。

その不毛な繰り返しの中、いつも地下鉄で乗り合わせる一人の女性に関心を持っていた。
彼女はいつも本を読んでいるのだが、その本を読んでいる姿、内容を楽しんでいる姿が実に美麗なのだ。

彼女は、いつもドアの所に立っている。
私が乗る駅は多くの人が降りる駅で、最初に乗り込めば後ろから向こうのドアに押し込まれ、後から乗りこめば手前のドアに近くなる。
つまり、とても近い距離に立ち会わせる事が多い。

彼女は私が乗る前から乗っており、私が降りた後も乗っている。だから、どこから来ていて、どこで降りるのかは知らない。

朝、いつもの地下鉄に乗ると、足元に沢山の本が入った鞄を置いた彼女が居た。

後から後から人がワラワラと乗り込み、少し離れた場所に立っていたはずの彼女が目の前に居た。

彼女は本を読んでいる。
私も、本を読んでいる。

沢山の人が居るのに、誰にも邪魔されない不思議な空間。

途中、人が半分近く降りる駅がある。
今日も沢山の人が乗降し、私も彼女も押されるようにホームに出た。

電車に乗ろうとすると「次の電車に乗りませんか?」という声がした。
「?」と思って振り返ると、「次の、電車に」と彼女が繰り返した。

初めて聞く声。
普段は活字を追っている目が私の方を向いている。

何が起きているのか自分の中で処理出来ず沈黙している内に電車のドアが閉まり、次第に騒音を増しながら電車が動き出す。

「私、もう少しで東京から離れます。」
「そうですか…だから、今日はこんなに本を…」
混乱して理解不能な事を口走っている。イカン。

「もう、この電車にも乗ることはありません。」
「そうですか…」

「いつも、本を読まれていますね。」
「いや、あなたこそ…」
そう言いかけたが、「えぇ、まぁ…小学生の頃からの習慣で…」と訳の判らない返事が精一杯だった。

「お仕事は…写真ですか?」
肩から提げているカメラに目を向けている。

「あぁ、これ、そう、仕事であり趣味であり…」

言い終わらないうちに。もしくは、これ以上言う言葉が見つからない間に轟々と音を立てながら電車が入って来る。

風が吹き、彼女の前髪をバサバサと躍らせる。

「次の電車、来ましたね。」
「はい」

混んだ電車の後だったから、電車は空いている。
彼女は、いつものようにドアの近くに立つと鞄の中から本を取り出し、美しい姿でて読み始める。

釈然としないまま、私はポケットから本を取り出して目を落とす。目は文字を追うけれど、何が書いてあるのか判らない。

一駅、二駅と過ぎ、私が降りる駅に到着した。
彼女が本に栞を挟むのを横目に見ながら、目を伏せて彼女の前を通り過ぎる時

「さようなら」

という声が聞こえた。

そのまま歩いて行こうと思ったが、ドアが締まって走り出す前の「プシュウ!」と言う音が何とも切なくて振り返った。

急に立ち止まった私に舌打ちするような声も聞こえた。

締まったドアの向こう。遠ざかる地下鉄の中から、彼女は小さく手を振ってくれた。
私は…手首を持ち上げるのが精一杯だった。

エスカレーターを意味無くズカズカ踏みつけ、改札に定期券を叩きつけるようにして通り過ぎ、次の段を蹴飛ばすように階段を登りながら考えた。

私は何か言うべきだったんだ。
私は何か言いたかったはずだ。

数週間前の、自分でも信じられないような話。
by coopiecat | 2007-11-27 22:40
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